一昨日からNHK-hiで「
地球大進化 46億年・人類への旅」を再放送してました。
いやぁ~人類への進化の道って、ホントに奇跡ですね奇跡。
超寒冷期や温暖期や強敵大繁栄の時代などなど、少し間違ってれば、ホモ・サピエンスは誕生してなかったのかもしれないんですよ。「水の惑星」地球の存在が奇跡なら、「人類の存在」はもっと奇跡かもしれないですね。
一昨日からしか見てないので、「第三集 大海からの離脱 そして手が生まれた」のところからしかみてないんですけど、驚いたのは魚類からホモ・サピエンスの誕生までほぼ一貫して、力に対して力で対抗せず、自分たちが変化することで進化が展開してきているという点なんです。
たとえば、
ユーステノプテロンは生存競争の激しい浅瀬の海を諦め、淡水域に生活の場を移した結果、肺呼吸に進化したり、体長5メートルのハイネリアという獰猛な魚の全盛期、アカンソステガは水際に逃げ込むという戦略をとり、その結果、枝や葉が埋もれている浅瀬でも活動しやすいように胸びれが手の形になったとか。もしも正面から戦いを挑んでいたら、今頃、ユーステノプテロンやアカンソステガは絶滅したかもしれないんです。マイナーチェンジ的進化はあったでしょうけど、抜本的な生き残り策にはならなかったでしょうね。
中生代の低酸素時期、エネルギー効率の良い気嚢(きのう)システムをもつ爬虫類が大型化し、恐竜として繁栄する一方、少数派の哺乳類は横隔膜を発達させ、お腹部分の肋骨が退化し(因果関係は逆だったかな?)、その結果、伸縮自在なお腹ができ、胎生という「これぞほ乳類!」というシステムが誕生したらしいです。一見、劣る呼吸器システムでも、それなりにバージョンアップさせていくことで、生き残ってきたんですねぇ。恐竜たちと小型哺乳類がバトルしても勝てなかったでしょうから、中生代の潜伏期間中にバトル以外の道を選択できていたのは、結果的に人類への進化につながったってことでしょうね。
力と力でぶつけ合うよりも、争いを避けて逃げ、そこでの厳しい環境に対して自分たちを変化させていくことで進化するというのは、まさにアンチ・マッチョの精神です。
外からの力に対抗するために、外に力を向けることよりも、力を自分に向けることで、次の環境変化に対応できる準備をする。その準備が次の時代に要求されることと外れることがあるかもしれないけど、その時はその時で、また自分たちを変化させる。目立たず地道だし、自分たちが繁栄できる機会が、最後まで出現しないかもしれない。だけど、外からの力に対して真っ向勝負を挑むよりも、長く生存できるし自分の生活や生存を自分で決める余地が大きいと思うんですね。
こういうの、なんて言うんやったっけ?・・・・・・・・「負けるが勝ち」?
NHKスペシャルは「地球大紀行」「地球大進化」とシリーズが続いてます。また10年後くらいにこのシリーズを見ると、新しい学説や観点があるでしょうね。アンチ・マッチョが当たり前になっていて、「祖先は力で未来を切り開いた!」になってるかもしれないです(笑)。あるいは、ネオコンに支配されて「人類に進化はなく、地球誕生の頃から人類だった」になってたりして…(爆)