下の「家事する男性を見分ける方法」みたいなことを書いた後で、
「いや待てよ…どういう家事をして欲しいか?で随分違うかもよ」
と思った。
散らかさない、汚さない程度でいいのか?自分に代わって毎日料理を作れるくらいのレベルか?自分が単独海外留学しても大丈夫なレベルか?求めるレベルで見極めも変わってくるかも。
男性の家事をみわける一番わかりやすいのは、「私の家事に期待しないで」「料理はチョット苦手かも」と言ってしまうコトかもしれない。そこで、「そんなんアカン」とか、「結婚すれば料理するようになるよね」「結婚するまでにはできるようになっててね」という男性は、やっぱり家事やらない部類だろうな…。
もっとも、女性が「家事に期待しないで」というコトをスパッと言える関係が、一番大事だと思う。こういうコトが言い合える関係があってこそ、男性の家事にも意味が出てくる。口よりも行動がでる感じかな?「あ、今日はしんどそうやな」と思いながら何にも家事しない夫。「僕は家事もするようになったのに、何が不満なの?」という夫。クッタクタになって帰ってきた夫に「ご飯まだ?今日はあなたの当番よ」という妻。これじゃ、いくら夫婦両方が家事できるようになってもね。
感覚の共有(=共感)のないところに、良い関係は存在しないと思う。
(ここで一区切り)
以前、出版社の方との打ち合わせで、「男性が家事参加に至るには、夫婦間の関係性というかコミュニケーションが基盤にあると思うんですけど、そこを出してみると、もっとおもしろくて深いモノになるかも」という話をしたことがありました。結局、男性が家事をすることの意義って、ここなんでだろうなと思う。
男性の家事についての本は、大雑把に
・モノローグ系
・How To系
・ジェンダースタディー系
のどれかだと思う。
早瀬鑛一さんの『男の家事のすすめ』は、この3つがバランス良く網羅されている貴重な本だと思う。
僕が男女共同参画(=ジェンダーイコーリティー)の基準と考えているのは、父子・母子世帯の親が仕事と家事・子育てを両立しながら無理なく生活していけることだ。それを保障するために、仕事のやり方や家事・子育て支援策を考えるのは、上の3つの系統があれば十分だと思う。
ところが、複数の大人が共同生活する時に、「やっぱり家事はそれぞれがチョットずつでもできた方がイイ」を言うには、構成メンバー間の関係性と家事が関わることに触れんとアカンやろなぁと思う。
僕は、仲の良い夫婦や家族の関係には、経験の共有による共感が不可欠だと思うし、そのベースを作るのが「共家事」だと考えている。だから、男性も家事した方がイイと言い続けている。もちろん、家族旅行に行った時のコトを思い出して、「あの時、あそこに行ったの、楽しかったなぁ」と共感し合うのも大切。だけど、家事は日常生活そのもの。日常の中に、そういう共有できるモノがあるなら、これは週末や休日だけの共有よりも、はるかにたくさん蓄積されるだろう。
「君が小さい頃は、せっかく畳んて積み上げたタオルを、ガサ~ッとひっくり返したりしてたんやで」「あの頃は、子育てでストレス溜めて行き詰まったよなぁ」と家族と話しができるには、小さな日常を一緒に過ごした積み重ねが必要だ。楽しいことも苦しいことも、一緒に過ごして経験するからこそ、一緒に振り返れるし共有する財産になっていく。共有する感覚があればこそ、思いやりや愛おしさが生まれたりするんだと思うし、そのためには、やっぱり男性も家事した方がイイと思う。以前、シングル単位社会論の伊田広行さんと話したときに、「なんで(『自事』じゃなくて)『家事』なん?」と質問され、その質問に十分答えられなかった。でも、今は、これじゃないかな?と思える。
もうひとつ、共同生活者みんながボチボチ家事ができた方がいい要素があるんだけど、字数が多くなりすぎるので簡単に。他にも家事する人がいるというコトが、強制されない家事をもたらし、そのことが「リクリエーション家事」や「仕事に役立つ家事」を生み出すこと。