時津風部屋の力士急死事件に関していろいろ。
僕が、初めて相撲界に対して「え?」という疑問をもってのは、ずっと昔。千代の富士が、自分の脱臼癖を治すために筋力トレーニングを始めたのを、関係者が一斉に避難し反対したというのを聞いたとき。
なぜ筋トレがアカンのか?という僕の疑問に対して、当時の親方はじめ識者がいうには、「余分な筋肉がつく」「柔軟性が失われかえってケガが増える」と理屈を付けたそうだ。ただ、その後の千代の富士の活躍は皆の知るところ。どうやら、「前例のないトレーニング」という点で異を唱えたというのがホンマのところだったようだ。
ちなみに、僕にとっては、千代の富士は最後の相撲界ヒーロー。彼の活躍をナマで知ってるだけでもラッキー!若貴なんて、千代の富士の貫禄に比べればひよっ子(僕が年を取ってしまった部分も大きいけどね)。
相撲界のシステムは封建体制。ヒエラルキーという言葉がスッポリ入る封建身分社会。上のいうコトは絶対。しきたりを重んじ、不文律のルールに沿って統制される社会。だけど、興行は資本主義体制下で行われる。歌舞伎も、狂言も、雅楽も、文楽も、内部体制は封建制でありながら、その体制の存続には、マネーという資本主義市場の力を必要としている。
ここで問題になるのが、封建制と市場。市場には市場のルールがある。資本主義社会においては、そのルールは社会のルールと同化する。封建体制化では差別や体罰が是とされても、市場社会では犯罪と扱われる。このギャップを埋めるのに、協会は理事を始めなんら役割を果たしていない。
僕が注目したいのは、情報開示。
封建体制化の「しごき」に理屈はない。だけど、なかには経験則的に集約されたモノもあるはず。「これができないとケガをする確率が増える」「この基本を忘れると、引退後に困る」など、公私にわたった教育も含まれたはず。ところが、如何せん不文律。時に、それは「上の者の気分次第」で伝わる事もある。「教えてもらいたければ、言う事を聞け!」「つべこべ言わずにやれ!」という言葉は、その表れだ。これこそが封建制を維持するための権力=情報統治管理力。
「つべこべ」というのは、実はエビデンスを探す作業。例えば、「この単純動作の繰り返しには、この筋肉への強化がある」「この順番を守る事で、こんな効果がある」など、いくつかのしきたりには、付けようと思うとちゃんとした理屈があるはず。でないと、こんにちまで継承もされなかったはず。「つべこべ言うな!」には、情報をもつ側のエビデンス照会力と説明能力の欠如を表す。
「しごきがないと強くなれない」というのは間違っている。ちゃんと情報開示して、理屈を付けてやれば、強くなるコトは可能。それは他のプロスポーツをみればわかるコト。教育方法は、封建制と資本制では異なる。徐々に資本制にシフトさせないと、市場からはそっぽを向かれ、やがては「野蛮な」「時代遅れの」という形容で表されるモノになる。
僕は若乃花が「相撲はエンタメ(エンターテイメント)」と発言したコトを評価している。チケット売って、グッズ買ってもらって、放映権がからんで…これは興行ショーだ!と彼は強調したかったのだろう。彼の目は間違ってなかったようで、「
チャンコダイニング若」の業績は順調らしい。彼には資本制社会が見えていたのだ。
そもそも、相撲以外に、これだけ各方面からヨッコラショと支えてもらってる伝統競技が他にあるか?もう相撲だけを特別扱いにするのはやめて、他の伝統芸能や伝統技能、伝統競技に配分してはどうだろうか?NHKも相撲だけじゃなくて、柔道や剣道、弓道や長刀、あるいは歌舞伎や狂言、雅楽や伝統工芸などなど、ある程度、均等に放送してはどうだろうか?
四国(高知県)の野球と同様、相撲もまた、存亡の危機に直面しているのではないだろうか?でも、北の湖協会理事長をみる限り、その危機感はまったく感じられない。ちなみに、この1年間で、僕が相撲をみたのは、トータルでせいぜい20分程度。あんな時間に試合してたんじゃ、客も入らないでしょう。あんな時間に生中継されてもみる余裕なんてナイです。
ついでに言うと、加奈子は朝青龍が気に入ってました。というのも「強いから」だとか。強いモノを作り出せば、子どもの心は掴める。八百長疑惑はどこかへ消えたけど、もしかして強いモノを設え人気を取り戻そうという魂胆だとしたら…